いい子を演じるために他人を巻き込んで深く傷つけてしまいました。
幼い頃、私は親や先生の顔色を伺って「優しくていい子」だと思われるのに必死な弱い子供でした。
小学校の頃、ずっと陰湿ないじめがありました。
私の母といじめられていたAさんの母は私が幼稚園のころからのママ友だったこともあり、Aさんと仲良くするように日頃から言いつけられていました。
ですが、Aさんのことを次第に気持ち悪いと思うようになり、避けるようになりました。
担任の先生からも給食を食べる時にAさんを仲間に入れるようにと頼まれました。
私は優等生の顔を守るためにAさんに声をかけました。
Aさんの気持ちも自分の気持ちも何も考えていない行動でした。
Aさんと距離が縮まると、自分から声をかけたにもかかわらず、また気持ち悪いと思うようになってしまいました。
そして、また避けるようになってしまいました。陰口も言いました。近づいた時に嫌な顔をしました。
道徳の教科書などに合わせて“いじめは絶対ダメ”だと口先では言いつつ、やっていたことはいじめでした。
運動会の時にAさんがひとりでいたことを、母に厳しく責められました。
思えば元々いじめられっ子だった母は、Aさんに自分を重ねていたのかもしれません。
いい子だと思われることに必死だった私は、“悪い子”の烙印を押されたことに強いショックを受けました。
しかし、自分の評価には落ち込んでもなお、Aさんの気持ちは考えませんでした。
わざと考えないようにしていたのかもしれません。
私はAさんとは仲良くなれないといい加減自分でも分かっていました。
それなのに弱くて、大人の目に怯えて、行事の時などだけAさんを仲良しグループに入れることを繰り返してしまいました。
Aさんのことが気持ち悪いだけではなく怖いとも思っていました。
不安で、もういっそ私に復讐して殺してほしいとも思っていました。
そこまで張り詰めてもなお、自分からは開き直ることも突き放すこともできずにいました。
“いい子”に囚われたまま変わろうとせず、ズルズルとAさんも自分も傷つけ続けました。
高校生になってAさんと物理的に離れられた頃、彼女のSNSを知りました。
そこには以前リストカットをしたという内容が書かれていました。
理由は“裏切られて”でした。
誰にどう裏切られたのかは書かれていなかったものの、おそらく私のことだろうと思いました。
少なくとも、私には裏切ったという自覚がありました。
私も手首を切ろうと何度も試したけれど、怖くて血が出るまで切れませんでした。
Aさんがリストカットをした理由が、“いじめられて”ではなく“裏切られて”だったことが深く突き刺さりました。
大人になるにつれ、ようやくAさんの気持ちを真剣に考えるようになりました。
裏切られたと感じたということは、信じていたということ。
助けられたと思ったら見捨てられる、今度こそはと信じてみるけど結局裏切られる。
そんなことを繰り返されては人を信じられなくなってしまうのではないか。
ずっと孤独を感じることにもならないだろうか。
本当の気持ちはAさん本人にしか分かりません。
ですが、小学校、中学校と長い時間をいたずらに奪い、それ以降も残るだろう深い傷を心に刻んでしまったことには違いありません。
私の罪は、親や先生から見られる自分のことしか考えていなかったこと。
Aさんと誠実に向き合おうとしなかったこと。
現状を変えようとしなかったことです。
もしもあの頃に戻れるならば、まずいじめを止めることと仲良くすることを分けて考えます。
校長先生でも、ホットダイヤルでもいいから、落ち着いて話せる大人に相談します。
嘘はつかずに、自分のしていた過ちも認めます。
“いじめダメ、絶対。”の意味を自分の頭で考えます。
嫌いな人であっても、失礼な態度をとったり、あからさまな避け方はしません。
親や先生には、友達は自分で選びたいんだと素直に言ってみます。
もし“悪い子”とみなされても絶望しないよう、自分の中にいいことと悪いことの指針をちゃんと持ちます。
ただ、もう過去には戻れません。
これからは賢くなります。
強くなるには、本当の意味で優しくなるには、たくさん考えます。
この過ちは忘れません。
ごめんなさい。