最近、木造建築のアパートで大声で歌うことが多く、隣人の皆様ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません。
先ほどおそらく住人の方がインターホンを押してきたのですが、怖くて出られませんでした。そこでようやく自分の声がうるさかったかもと気づきました。下手くそな歌や推しへの歓声が聞こえていたかと思うと恥ずかしく、さらに聞こえているかも知れないと思い至らない自分の配慮のなさに情けなく思いました。
これからは大声で歌うことはしないように、推しへの歓声は枕などで口を覆って響かないように配慮するように気をつけます。
隣人の皆様、大変申し訳ございませんでした。
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お金の管理を怠ってしまった。そのせーで手数料220円で済んでいたのに215500円を失う結果になってしまいました。次からはお金の管理は絶対に怠りません。ごめんなさい。許して下さい。
[j]3日前
もう20年も前になりますが父が脳に二つも腫瘍があり手術で摘出不可能という事で日に日に認知力が弱くなって行く父が亡くなった時、遠方に住んでたので死に目に会えず、当時かなりいい加減な生活を送っていた私は父の葬式当日式に間に合わず途中の駅で実家に帰るのを止めてしまいました。私は一人っ子なので喪主は当時80歳の母一人に全て任せてしまいました。当然、後日親戚連中からは矢のような叱責の電話が鳴り止まず、それもシカトしていました。その後、父の三回忌に母と出席し、墓前で泣いて謝り、母も『お父さん、許してあげて頂戴ね、三人きりの家族だから仲良くして欲しいし。』と。子供の頃から人一倍私の事を可愛がってくれた父。一度も私に手をあげなかった父。私のやりたい事を自由にさせてくれた父。多額の借金を肩代わりして返してくれた父。そんな父との最後のお別れ、もう二度と会えないのに自分の気まぐれ、わがままで棒に振った私は最大の親不孝の大馬鹿者です。悪い事ばかりして刑務所にも三回行きました。母は父が亡くなった四年後に亡くなりました。母の時も病院から母が倒れてもう危篤状態との連絡を受け、翌日病院に駆け付けた時にはもう母はまともに話せませんでした。その一週間後母は亡くなりました。そこでも一度母の元を離れ、二日後にまた来る予定でしたが一日間に合いませんでした。両親共に死に目に会えませんでした。みこんの私はその後、誰も居なくなった実家で猫一匹と暮らしていましたがそこで一度目の懲役に行き、唯一の家族の猫を手放さなきゃならなくなり、それからは実家も処分し、独りアパート暮らしで懲役の度に新たに住まいを構えないとならなくて安定した生活を送れていません。これも親不孝の罰が当たったのだと何とか独りで細々と生活しています。両親は天国で幸せに過ごしていると思いますが、前科持ちの私は死んでも両親の元へは行けません…せめて夢にでも、幽霊でも良いから私のもとへ父と母に会いに来て欲しいです。心から謝りたいです。もうそれ以外に両親に会える機会は無いのですから。子供の頃からの家族写真だけが大切な御守り、心の拠り所です。写真の中には私が幼稚園、小学生、中高生、社会人とその時その時の両親の笑顔が生きています。今しみじみ見ると両親共に本当に優しい笑顔です。..... 長々とお読み下さりありがとうございます。自分勝手な内容ですが誰かに聴いて欲しかったのです。御免なさい。
[吾朗]4時間前